2021年9月の映画館へ ※ネタバレあり
鳩の撃退法
映画館で何度も観ていた予告で想像していたようなストーリーと違っていたな。
ちもやん、前半は「ヤベー、わかんない」とけっこう戸惑いながら観ていました。
話があっちこっちに飛ぶので時系列も混乱します。
車中に主人公の津田が二人同時に登場した頃が混乱のピークですな。
そこで津田(藤原竜也)からこの映画の展開の仕組みが少しタネ明かしされます。
現実(ノンフィクション)と虚構(フィクション)が混じっているんだよ。
そういうルールでこの映画は進行しますよ~と明かされます。
藤原竜也が演じる主人公の津田は小説家。
津田はやさぐれ生活をしていた地方都市で、一家失踪事件と偽札事件に期せずして関わってしまいます。
小説家として挽回を模索する主人公の津田がその事件の背景を推測や創作を織り交ぜながら小説で展開していきます。
そういうわけで、現実と虚構が入り混じり、観ているとタネ明かし的にスカッとして腑に落ちる時もあれば、さらに混乱することもあります。
終盤にかけては津田の小説ベースが中心となり、推測や創作の度合いが高まります。
そして、ラストシーンのバーでのヒデヨシからのピーターパンの本の返却。
津田たちが慌ててバーを飛び出してヒデヨシの後を追うと、ヒデヨシは車に乗り込んで立ち去るところでした。
そして、その車内でヒデヨシの隣に座っていたのはヒデヨシの家族ではなく、育ての親の倉田でした。
ただ、このキーパーソンの倉田と小説家の津田は劇中では一度も面識がありません。
ラストシーンを含め、視聴者側でいろんな解釈が成り立つ映画ですね。
くじらびと
インドネシアで捕鯨を400年間続けながら暮らす島の人々のドキュメンタリー映画。
世界中で捕鯨禁止が叫ばれる昨今ですが、彼らは特例で認められているのでしょう。
捕鯨のシーンは劇中ではさほどありません。
大半は島の日々の暮らしや伝統継承のお話です。
新造された漁船の進水式だけは女性も乗船できるとか、少年たちは銛の投擲の練習をさせてもらえるとか。
砂浜で獲物を解体し、各家庭へ分配される様子とか。
漁のシーンもエイやサメばかりですが、それでも海上での銛の投擲による人間と海の巨大生物との格闘はエキサイティングで盛り上がります。
捕鯨のシーンは序盤に少しと、最後のクライマックスにあります。
マッコウクジラですね。
この捕鯨は娯楽が少ない生活の男共にとって本当に血沸き肉躍るイベントやろうね。
クジラの体当たりでバラバラになりそうな船の舳先から、海とクジラへ向かって全身ダイブで銛を投擲して獲物の体力が尽きるまで戦う。
もう漁というより戦闘であり海戦。
野郎どもの気持ちが高ぶらないわけがない。
もうね、岸和田のだんじりとか、諏訪大社の御柱祭とか、そういうテンション。
冗談抜きで死と隣り合わせの男共のフェスティバル。
捕鯨の是非を問うようなテーマ性は皆無。
テーラー 人生の仕立て屋
ギリシャ映画で父親から斜陽家業の紳士服のテーラーを継いだ息子の話。
セリフが少なく欧州映画の独特の間があちこちにある。
序盤は、主人公のテーラーという職業柄か、病的な几帳面さのキャラ設定がこれでもかと描写され、それがなんだかジョジョの奇妙な冒険に登場しそうなキャラクターで今後の物語展開を期待させます。
この主人公の登場シーンの動きがすごくトリッキーで荒木節全開なのです。
飴を取り出して舐めるシーンとか。
舞台の老舗の紳士服テーラー店。
銀行からの差し押さえが序盤に決まります。
トリッキーな動きの主人公がどんな結末を迎えるのか期待が高まります。
ところが。
ストーリーが進むと、序盤で念押しされた主人公の奇妙でトリッキーなせっかくのキャラ設定がだんだんと薄れてきます。
紳士服から婦人服やウェディングドレスへの市場開拓など、サクセスストーリーの盛り上がりに合わせて、ただの隣のマダムとの不倫オヤジに成り果ててしまう。
そんな分かり易い人生の落とし穴にハマるなんて。
序盤はもっと奇抜な結末を予期させる奇妙で不気味なキャラだったのになあ。
男女が出会うと地中海の気候がそうさせるのかな。
序盤はぶっ飛んだギリシャ映画を予感させただけにちょっと残念。
あとがき
9月初旬に全国で感染者のピークを迎え、そこから減少に転じ、月末で緊急事態宣言やまん坊を全国一斉に解除するという1か月でした。
いよいよ身近に感染者が続出する第5波でありました。
肺炎で入院した人も味覚を喪失(一時的?)した人も。
ちもやんもファイザー製のワクチン第一回目を接種。
発熱等の副反応はありませんでしたが、筋肉注射だからなのか、数日間は注射した方の腕が上がらないくらい痛かったわ~。
すったもんだの自民党の総裁選は、岸田さんが決選投票で新総裁になったみたいだけど、選挙で野党の総裁にならんだらいいけどね。