2021年8月の猛暑と長雨の中を映画館へ ※ネタバレあり
サイダーのように言葉が湧き上がる
高校生のボーイミーツガールもの。
でも、学校や学生生活のシーンは皆無。
舞台はショッピングセンターとSNSとそれぞれの自宅が中心。
青春ものにありがちなジェットコースター感も皆無。
ストーリーに起伏を起こすのは謎のジジイくらい。
でも、細田守監督のよりこっちの方が面白かったし、共感しやすかったかな。
走れロム
ベトナムの映画。
検閲でいろいろ編集されているそうですが、ちもやんは余り気になりませんでした。
貧困層のギャンブルにかける姿勢や公認くじを利用したノミ行為の妙に複雑だけど不思議と機能している複雑怪奇な仕組みとかベトナムあるあるがよく伝わってきました。
日本や海外で万引きされた化粧品やらドラッグストアの盗品やらがいろんなブローカーやルートを通って、しれっとベトナム国内で流通しているみたいな。
ノミ行為や泥棒市場の複雑怪奇な仕組みやシステムが、マフィアや誰かが牛耳ってどうこうではなく、誰彼となく全員参加型でなんとなく自然とそうなった的な。
霊魂や幽霊を畏怖しながらも信じて賭事のアテにするとかもベトナム人らしい。
2000年代初頭のシクロが消えつつあるホーチミン中心部。
この映画に出てくるくらいの子供らがガムを売りつけてくるんよ。
ミドリ色のミント系の板ガムを「ワンダラー?」と。
きっと利益率が高かったんだろうね。
10円で仕入れて100円で売るみたいな。
このガキどもは油断しているとスリやひったくりに変身するという厄介な奴らでした。
ベトナムの映画業界もかつての香港や昨今の韓国映画のように伸びてくるかな?
まだまだ若い人口が多い国です。
これから開花するであろう豊富な才能に期待できます。
キネマの神様
松竹100周年記念の作品。
菅田将暉の青年期とその後の沢田研二のダメ親父とのギャップが凄い。
青年期のエピソードからちょっと同一人物とは思えないくらい。
永野芽郁と宮本信子もそう。
作中にも表現されている通り、現在の新型コロナの影響が撮影にも影響を与えたことは想像に難くありませんが、でも、ちゃんと山田洋次監督の王道路線でした。
もぎりの片桐はいりさんも出演していましたね。
さようなら志村けんさん。
映画 太陽の子
主演の柳楽優弥はどんな役もこなせるオールラウンダーの役者ですね。
背筋がピンッと伸びた兵隊となった体格のいい弟の三浦春馬に対し、少し気弱でいつも猫背ながら京都大学で科学者の入り口に立つ兄の柳楽優弥。
主要各国間の原爆の開発競争のお話。
実際、当時の日本と米国やソ連との研究開発力の格差は大きく、日本のそれが競争といえるレベルのものだったかどうかは疑問ですが、海軍の要請もあって京都大学で研究開発されていたという事実はあるようです。
物語は史実に沿っているので結末へのベクトルがある程度はわかっている映画です。
このタイプの映画や小説を目の当たりにすると、本当にね、人間は損切りや撤退の見切りが下手なんだということがよくわかります。
作中では、京都大学の学生レベルですらお国の為とか、このままではこの戦争で死んだ身内や同朋が浮かばれないといった精神論のお題目やスローガンを心の拠り所にして、自らの意思で兵役に志願したりします。
今ではまったくもって考えられへんけど、もうね、国家ぐるみですべてを戦争へ全集中投資していた時代といっても過言ではないくらい。
そして、それらのほぼすべてが負債となり、ますます選択肢は限られ、その選択肢も神風を祈るくらいギャンブル性の高いものとなっていく。
そのことの象徴的なシーンが石村兄弟(柳楽優弥と三浦春馬)が縁側で最期の別れとなるかもしれない二人呑みをしているところへ、幼なじみの有村架純がやってきて、戦争が終わったら教職に就くと夢を語るところです。
兵器開発をしている兄と兵隊として戦っている兄弟は驚きます。
「もう戦争が終わった後のことを考えとるんか!?」と。
この兄弟の発想は当時の日本全体を覆っていたものでしょう。
ましてや戦後を考えることは日本国の敗戦とイコールともいえる戦況やからね。
空襲で空から爆弾が落ちてくるから防空壕へ避難する。
燃料や弾薬が無いから自機もろとも敵艦へ特攻する。
死んだ仲間を想うと自分だけが生きているのはおかしいと自ら死地に向かう。
この段階で国家ぐるみで投資から投機に変わっている。
ギャンブルとか賭事と同じやね。
戦略的な投資のミスを取り戻す為に繰り返される投機。
京都大学の原子核爆弾の研究も軍が要求するのは一発逆転の投機レベル。
さすがに教授は目先の原子核爆弾ではなく、科学としての核エネルギーの未来を考えており、折に触れて研究所内の学生に話して聞かせますが、彼らになかなか響きません。
あまつさえ、先述したように研究所内から軍に志願する学生もいる始末。
教授はコネを使ってその彼を戦場から研究所に呼び戻します。
これは憐憫ではないと教授はいいます。
教授なりの戦後を見据えた若い学生と科学技術への投資なのでしょう。
有村架純が縁側で兄弟に語った教職への夢もそう。
男性教職は戦地へ送られ、女性教職も疎開して教員不足が激しい。
それに対して産めや増やせやで子供はたくさんいる。
だから未来の教育の為に自分が教職に就くんだと。
これも彼女なりの戦後の投資プランですね。
そんな中、ついに戦争を終わらせる原爆がヒロシマとナガサキに使用されます。
開発競争を制したのはアメリア合衆国だったわけですが、このことにより太平洋戦争だけでなく、世界大戦の終結と戦後処理が世界中で本格的に始まります。
現在の常任理事国もこの間に慌てて核開発を急ぎ、アメリカ合衆国に遅ればせながら一定の核開発技術の成功を世界中にアピールします。
賛否両論があって、議論に正解も無さそうですが、核の抑止力という名のもと世界大戦レベルの大規模な戦争が回避できている今があります。
あくまでも今ですが。
科学は真理であって、それ以上でもそれ以下でもないと作中にあります。
ただ、その真理を、戦争に勝つ為、戦争を終結させる為、戦後の世界構築のイニシアティブの為と、どんな理由を付けたとしても、あんなものを非戦闘員の頭上に落とすという人間の業を考えてしまいます。
しかも、2回も。
仮に勢いでやってしまっても、1回でわかるやろ、これは絶対にアカンやつやって。
そもそも原爆の前に非戦闘員への空襲や機銃掃射もどうかしているのだが、それが戦争というものなのでしょう。
科学者の知的探究心に火が付いた主人公の柳楽優弥は比叡山に登って、次に京都市内へ落とされるであろう原爆をこの目で観測したいと教授へ訴えます。
この彼の驚きの発想に教授は自分も若かったら同じことを考えたろうかと自問します。
母親である田中裕子はこの話を聞いて、言葉は少ないながら鬼の形相となります。
このシーンの田中裕子の演技は本当に圧巻の一言です。
柳楽優弥も有村架純も田中裕子のセリフ以上の演技に圧倒されて、今にもその場から吹き飛ばされそうです。
目が潰れても見たいというのが科学者の性(さが)なのでしょうけど、まあ、常人には理解されませんよね。
自分の故郷が原爆で焼き払われるのを山の上から観測したいだなんて。
田中裕子はいいます。
それが科学者だというのならアンタの好きなようにしたらいい。
でも、だからこそ私はこの家を離れない。
それがアンタという科学者を生み出した母親の責任だと。
これには科学者の入り口に立とうとする主人公はグゥの音も出ません。
それを生み出した者の責任。
原爆は、科学者や物理学者、兵器開発者たちが生み出したもの。
そんな科学者たちにも産んでくれた母親が存在するわけであり。
その母親が生み出した責任から逃げないという。
アンタら科学者は母の頭上で炸裂する自らが生み出した原爆を観測していなさいと。
科学者は登った比叡山で母親が作ってくれた大きなおにぎりを頬張ります。
戦地で亡くなったであろう弟が再出兵するときに母親が持たせたおにぎりと同じ大きさと数です。
終盤の田中裕子のインパクトと余韻は強いです。
再出兵する三浦春馬の耳に触れているシーンとか抱きしめる以上の母と息子の思いが伝わってくる。
その三浦春馬ですが、本作の配役とその演技は、その後の現実世界の彼のことを考えると、すべてがリンクしていて意味深に思えるシーンばかりです。
これは彼のファンは絶対に涙無くして観れない映画でしょう。
有村架純は絶対にドレスより和装ですね。
着物や浴衣とか、そして、決定的にモンペが似合う。
映画 かば
タイトルにあるかば先生だけでなく、登場する全員が主人公ともいえる丁寧な作り込みの脚本と演出でした。
序盤にリーダー格の生徒が着任したばかりの新任講師を、
「ここには部落と在日と沖縄しかおらんのじゃ!」
と恫喝したときにはこの映画はこっから大丈夫なのか?いけるんか?
とひとりドギマギし、その後の展開を勝手に心配してしまいました。
この映画が秀逸だったのはこのキーワードに終始しなかったことですね。
こういうのは視聴者に映画のバックボーンを知らしめる序盤の一回だけです。
あとは、事実として多重ドラマパートを折り重ねながら、中学校の教師と生徒と卒業生をからめてスピード感とじっくり感の両方を感じさせながら展開していきます。
これは同和映画ではありません。
金八先生とは違う「熱血」がこの時代の蒲先生たちから、スクリーンを通して、これでもかと伝わってきました。
久しぶりに映画の底力を目の当たりに気がしましたよ!
ちもやんは、木津川を挟んだ大正区と西成区を結ぶ渡船のシーンがオススメです。
このシーンは象徴的に何度も出てきます。
あとがき
日本列島を覆っていた線状降水帯による長雨で夏の甲子園も順延しまくり。
8月29日にやっと決勝戦というのは記憶にないね。
兄弟校対決とあってユニフォームもそっくり。
どちらも甲子園常連校だけど、ついに決勝戦での対決が実現しましたね。
智弁和歌山が優勝したようですね。
ベスト4の時点で近畿勢ばかり。
近江(滋賀県)と京都国際(京都府)とね。
予選を含めて、コロナ陽性で棄権とかもあったり、スッキリしないところも。
この甲子園の開催方法も見直される時期にきているかもしれませんね。
コロナ感染の影響よりも長期的には気候変動によ事実上の温暖化の影響が大きいわ。
今の日本列島の猛暑日が当たり前の夏期において、予選もそうだし、本選も甲子園でのデーゲームとかあり得へん。
そのうち熱中症やら脱水症状やらで死人が出るんじゃないかと心配やわ。