2020年11月も映画館へ萌愛でGO! ※ネタバレあり
罪の声
ちもやんが子供の頃に発生したグリコ森永事件。
三億円事件と並ぶ昭和の未解決事件である。
三億円事件の白バイ警官とグリコ森永事件のキツネ目の男は、昭和の二大モンタージュ写真といっても差し支えないくらい有名やね。
グリコ森永事件は、当時、小学生だったちもやんが暮らす大阪を中心に発生。
この事件は、お菓子に毒物が混入されただけでなく、江崎グリコの社長が誘拐されたり、脅迫文がいろんな食品会社に届いたり、かなり世間を騒がせていた記憶がある。
犯人は「かい人21面相」と名乗り、この犯人はアクションが多いこともあって、目撃情報などからキツネ目の男のモンタージュ写真も広く知れ渡っていました。
その為、そのうち捕まるだろうという雰囲気が周囲の大人たちにあったのを覚えています。(実際は迷宮入りするわけですが)
かい人21面相の数多いアクションの中には、犯行声明やら脅迫を文書ではなく、音声テープによるものが幾つかありました。
その音声テープの鑑定の結果、その声の主は複数名の男女の子供たちの声だと判明しています。
つまり、犯人グループの身近な周辺にこの子供たちが存在しているということだったのです。(家族や身内なのかは不明にしろ)
この子供たちに焦点をあてて、グリコ森永事件とはこんな感じだったんじゃないかな?
というのが「罪の声」です。
あくまでギンガと萬堂といった食品メーカーが脅迫される「ギン萬事件」というフィクションとして、実際のグリコ森永事件に沿って話が展開されていく。
これがめっちゃ面白い!
観ていて当時の事件を知っているというブーストがすごい効いているのがわかる。
実際にこうだったのかもしれないという納得感がすごい。
事件の時効ということもあり、真相はこれでいいんじゃないかと錯覚するくらい。
そのくらい引き込まれてしまいました。
ただ、犯人グループだけでも多いのに全体を通しての登場人物が多く、時間軸も複数あり、舞台シーンも他府県や海外にまたがります。
その為、グリコ森永事件をまったく知らないと少しこんがらがるかもしれませんね。
勿論、例のキツネ目の男も登場します。
このキツネ目の男が登場してスクリーンを動いているのを観たときはなんだか妙な感動がありました。
この映画、そもそも未解決事件を題材にしていますからね。
普通はスッキリしない感が残って、あとはそちら(鑑賞者)の方で考察なり創造をみたいなことになりがちですが、この「罪と声」はそういったことがない。
事実はこうだったんじゃないかというストーリー全開でスッキリします。
原作が秀作なことが本当によく伝わるすばらしい脚本。
まだ原作は読んでいませんが、少なくとも原作を損なう映像化では絶対にないはず。
心が温かくなるラストへの運び方とその見せ方が映画の良さに結びついている。
よくこんなに上手くまとめられるなと感心します。
実際のグリコ森永事件に声で関わっていた子供たち。
この「罪の声」の放映時で事件から35年余りが経過している。
その彼らに当時の記憶があるのかないのかわかりません。
でも、「罪と声」のように存命している人がいる可能性は高いですよね。
また、犯人グループも高齢ながら存命中の人がいる可能性だって十分にある。
もし、彼らがこの「罪と声」をもし観ていたとしたら・・・。
461個のおべんとう
映画館で観ましたがなかなか萌愛なお話でした。
この映画はお茶の間で家族と一緒に観ることができる安心の内容とストーリー。
小中学校のクラスに必ずお弁当を隠しながら食べている子がいましたよね。
義務教育機関の公立の小中学校は家庭環境がピンからキリまで揃っている。
特に大阪を中心とする関西圏。
ここに記載できないくらいディープな世界ですから。
そら絶対にお弁当の中身を見せないように食べる子もおるわな。
そういうことに多感な時期でもありますしね。
誰にでもお弁当でやっちまった!(オカンにやられた!)というエピソードの一つや二つくらいあるよね。
おかずの汁が染み出したり垂れてもうて、教科書やノートがベトベトのビタビタになったりしてね。
来年度までタレが染みた教科書のふちがヨレヨレなんよ。
その頃は今ほど冷凍食品も発達してなかったからね。
小中学校で給食のない全国のオカンたちは大変やったやろな。
この映画を観て今更ながらオカンに感謝ですわ。
今でも給食ではなく、お弁当という小中学校もありますよね。
最近では両親ないしはどちらかの親が外国人というのも珍しくないです。
そういう子たちのお弁当エピソードも悲喜交々そうやね。
ホテルローヤル
いったいなんやねん。
見終わったときのがっかり感が大きい。
ローカルで両親がラブホテル経営をしている娘が主人公の話。
その娘役である主演が波瑠。
家族経営のローカルラブホテルを美大の受験に失敗して行き場の無くなった娘が何となく継ぐという題材や設置がせっかく面白いのにね。
お客さんがラブホでおりなす人間ドラマも従業員による裏方事情もなんか浅い。
一番決定的なのは最後に波瑠がアダルトグッズ営業の松山ケンイチに迫るラブシーン。
ラブホの室内に二人きり。
大人のおもちゃもあって、そんな雰囲気になって。
・・・そんだけしか脱がへんのかい!
安田顕はセルフプロデュースできる役者だし、松山ケンイチはアダルトグッズの営業マンを好演していたと思う。
波瑠も主人公のキャラ設定がブレないように頑張っていました。
心の内面の成長や変化も抑えめに演じ続けてきてのラスト。
これは波瑠が悪いわけじゃなく、脚本や主人公の演出手法がいかんと思う。
制作側が、主演の波瑠を活かしきれなかった感がかなり強い。
彼女にどういう具合に演じて欲しいのか、感動路線なのか、笑わせたいのか、叙情的にしたいのか、そういうのがすべて中途半端だったんじゃないかと思われる。