2025年7月も映画館へ萌愛でGO! ※ネタバレあり
国宝
長編ということでボンタン飴を食べてから入場。
ボンタン飴やお餅を食べるとトイレ(尿意)を我慢できるそうな。
映画は近年の日本映画の中では抜きん出ている作品でした。
何回クライマックスがくるねんと。
最初に極道の討ち入りから始まるシーンで昭和ですよと印象付けて始まる。
思わせぶりな伏線とその回収もたっぷり。
「親が居ないのは首が無いのと同じや」
これは今の芸能界でも似たようなもんやね。
能年玲奈こと「のん」とか、あの元SMAPのメンバーですらそうやからね。
実力がどれだけあろうが、舞台や演目にキャスティングされなければ活躍できない。
実際、落ちぶれてドサ回りしているシーンもあるしね。
喜久雄は悪魔との契約が実を結び、業界的には若くして人間国宝へ。
閉鎖的なこの世界で紋紋を背負って現実的に国宝になれるのかはよくわからないが。
この辺りのシーンだけ、前国宝役のおじいさん(田中泯)という魔物に完全に喰われてしまっている・・・。
この田中泯の登場シーンはそう多くないのだが、妖艶な手招きのシーンなど、観ている者を畏怖させるようなあやかしとバケモノっぷりで、本当に人間国宝ってこんな感じかもしれないと思わせられる。
というか、前国宝は実際の年齢が醸し出す雰囲気が本物だし、映画の神様が降臨したかのようにすべてが神懸かっていた。
そのギャップをどうしても晩年の喜久雄から感じてしまった・・・。
本作の唯一のご愛敬ですね。
国宝、萌愛。
ババンババンバンバンパイヤ
泥酔してよそんちのトイレに入っちゃった事件で延期。
この映画もそうだけど、超大作の国宝も控えていたから吉沢亮は各方面からめちゃくちゃ怒られたやろうね・・・。
当時のアイリスオーヤマが右に習えではなく自社の判断でCMを降板させずに若気の至りを守ってあげるという判断をしたことには好感が持てる。
ちゃんと自社のアイデンティティーにも基づく企業判断だと傍目からも伝わったもん。
こういう会社で働くのがいいと思う。
何度もあるターミネーターのアーノルド・シュワルツェネッガーの登場シーンのオマージュがいい仕事をしています。
森さんの森さん、萌愛。
でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男
確かに学校と子供の関連は痴漢のえん罪と同じで言ったモン勝ちの分野よね。
当事者の気持ちになって映画を観ていると、本当にたまったモンじゃないわ。
ちもやんの人生の中でもよくわからない虚言癖のある人はいたもんね。
男女ともにいたけど、同性だからなのか男性のそれは分かり易い。
コイツまたふかしてんな~と。
でも、女性の場合は思わず信じちゃうこともあったわ。
男女どちらでもそのうちに虚言癖やってわかるんやけどね。
虚言癖は不必要によくしゃべるタイプのイメージがあるので、柴崎コウの演じた虚言癖はベースが無口でコミュ力のないタイプの手強さがよく伝わってきたわ。
フロントライン
ダイヤモンド・プリンセス号の感染者を開業間近の藤田医科大学の岡崎医療センターが大量に受入れたという事実。
相当な葛藤や現場調整があったことは想像に難くないが、今となってはこうして後世に語り継がれる英断だったことは間違いない。
常に変異を続けるコロナウィルスにおいて、志村けんさんが亡くなったのもそうだし、この騒動初期の頃の毒性はおそらく非常に高かったのだろうと思われる。
今は変異の結果、コロナウィルスの毒性が弱まっているだけであり、そのうちまた毒性の強いのが出てくるでしょうね。
インフルエンザウィルスもそんな感じだし。
映画で当時を見直しても、結果的に25日程で全員を下船されることができている。
描写されていたが、法律や規則を意外と柔軟に解釈して対応していることがわかる。
なかなか未知のウィルスに対し、1ヶ月弱で全員を下船させるのは凄いことだと思う。
DMATなる組織も初めて知った。
これがまた医療ボランティア的な組織だったというのも驚き。
つくづく日本は民間が優秀。
そして、映画内でよく観ていると、DMATの医療スタッフはダイヤモンド・プリンセス号にずっと乗船したままずっと隔離されていたわけではなく、シフト制の勤務対応で乗船と下船を繰り返していたことがわかる。
医療関係者に対する保育園預かりのような問題も確かにあったように記憶する。
マスコミ報道やSNSで同様の排他的な煽りがそれこそウィルスのように一部の国民へ感染していったのも記憶している。
騒動から数年経った現在。
たまに新型でしたと5日間の自宅待機をする人が居る・・・。
F1(R)エフワン
シンプルイズベストなストーリーで面白い。
意図的に90年代を今風にしたような感じのあざとさがいい。
ブラピがムキムキで萌愛。
ONCE ダブリンの街角で
アイルランドらしいニュートラルな感じからのシャウトのある音楽。
序盤の掃除機をゴロゴロと曳きながらのデートがよかった。
なんやねん子持ちの人妻かいなというオチ。
まあ、美人やったもんね。
仕方ない。
逆火
巻き込むとか巻き込まれる系の話。
劇中でそういうのを上手に捌いていくタイプがプロデューサーや監督。
登場人物の中で主人公の娘の動機だけはちょっと理解不能やったな。
本人の個性や資質であって、親の愛情がとか貧困がというのと異質な気がする。
実際、より底辺から成り上がっているARISAが登場している。
本音はどうか不明ながらも彼女は主人公を理想のお父さんとまで評してくれるのだが。
でも、人間関係の機微なんてそんなもんよね。
家族であっても。
ラストのリビングはそれまでと違ってモノに溢れていた。
それなりに生活が安定し始めていたんだろうね・・・。
夏の砂の上
長崎は今日も雨だったやのに渇水にもなるんやね。
うだるような暑さのシーンが随所にあって。
でも、姪っ子と彼氏との発情シーンで急にそれが足りなくなる。
肌が綺麗なのはいいけど、もっと汗でビチャビチャのベタベタのギトギトでないと。
全体的に行間が多く、事細かく説明する気もなさそう。
エヴァンゲリヲンみたいに受け手の解釈に委ねるシーンが多い。
オダジョーの奥さんの松たか子で。
ちもやんは事故で死亡したタクシー運転手と不倫してたのかと思ったもん。
ひたすら主人公が喪失しまくる話でなかなかしんどいストーリー。
ちゃんぽん屋の仕込み中の事故で左手の小指と親指以外も喪失するという追い打ち。
でも、なぜか指を失ったことの悲壮感はエンドロールまで一切感じられない。
失ったのは人差し指(奥さん)、中指(友人)、薬指(妹)の暗喩?
姪っ子はなんとなくぶった切った指には入ってなさそう。
帽子になって頭の上に乗って戻ってきたしね。
木の上の軍隊
最序盤は方言で何を言っているの半分も聞き取れん。
どうなることやらと思っていたら、いつの間にか聞き取れるようになっていた。
そういう演出で撮影が進むなかでセリフが抑えられて標準語に寄せていたのかな?
実話をベースにとあって、さもありなんという内容。
特に少尉の行動変容はそうかもなと思わされる。
空腹で一線を超えると、戦利品の獲得のように敵軍の残飯も漁れるようになる。
音を立てないように身を潜めていたのが次第に気にしないようになっていく。
人間の頑固さと合わせ持つ適応力がイメージしやすい演出になっている。
戦争って、古代からお祭りやフェスティバルのような一面はあったように思う。
士気高揚や鼓舞はそっち系で盛り上げる。
ずっと昔の日本もそうだったんじゃないかな~。
実は、サムライと美化される以前の戦国時代とかも。
でも、近代史以降の日本軍はそういうのがどんどん失われていって。
宗教的な精神性の方ばっかりいっちゃってという印象。
どちらかというと宗教軍のような側面が強くなっていくというか。
少尉は木陰から米軍の飲んで歌ってのパーティーを見てしまう。
お祭りやフェスティバルのように呑んで歌えやの米兵たち。
それを見て少尉の中で何かが決定的に吹っ切れる。
にっくき鬼畜米英の缶詰や食料を食べるようになるわけで。
あとがき
5月頃に今夏はそんなに暑くならないかもと思っていたのが懐かしい。
7月になって日中は30℃を下回ることの方が想像しにくい。
もはや40℃にならなければ御の字くらいになってきている。
本当は太陽が地球に近くなっているんじゃないかと思うくらい暑いわ。
ちもやんが子供の頃はひと夏に30℃を超える日が数日あるくらいで。
気が付けば35℃が当たり前となって、近年ではもう40℃が目前。
これって、あと10数年もすれば45℃や50℃になっている可能性が高いよね?
これが解決できないんじゃあ、人類も思ったほど賢くないよね。
二酸化炭素とか温室効果ガスが原因という話があるけど、ちもやんは都市部のコンクリートやアスファルトの輻射熱の影響の方が大きいと思うんやけどな。
あとは、原発とか火力発電所の温排水による海水温の上昇。
なんにせよ。
日本国も北海道への移住くらいでは避暑地にならんという現実。
なんなら今の夏は沖縄より北海道や本土の方が最高気温が高いという事実。
この気候変動の流れで世界中がシベリアや北極海を目指す時代が来るかも?
かつて、不凍港を求めて南進したロシアがまさか狙われる立場になったりして?
しかも、そう遠くないかもしれない?
いやいや・・・。
でも、人類の歴史なんてそんなもんやし・・・。
平和萌愛。
合掌萌愛。