誰もが逃げ出したくなる原発事故の現場に不眠不休で立ち向かい続けた「Fukushima50」の皆様に心からの敬意と感謝!
3月11日に映画館でリバイバル上映中のFukushima50を鑑賞しました。
勿論、14時50分の開始上映やん。
(※翌12日に地上波放送だったけどあえて)
今現在も先の見えないコロナ禍で陰鬱な気持ちの日々が続いてるけど、それでも震災直後の数週間は今とは比較にならないほど陰鬱やったわ。
その最大の理由は予断ならない状況にあったフクイチ原発事故。
放射性物質による汚染で東日本の広域にわたって半永久的に住めなくなってしまうというなんともいえない絶望感。
復興どころか救助や避難の真っ只中にある被災地のことを思うとホンマに祈ることしかできませんでした。
今思い出しても吐きそうや。
と、いうわけで今日のちもやんは真面目モードやな。
格納容器内の高圧力との戦い
大地震と津波で発電所なのに電源喪失し、電力なしという究極難度の無理ゲーが開幕。
映画で具体的に描写される最大危機が「格納容器内の高圧力」です。
原子炉の空焚き(メルトダウン)による水蒸気が高圧力の原因である為、消防ポンプ車で海水を注入して冷却しつつ、高放射線量の中を人力でバルブを開けて、蒸気機関車の汽笛のように蒸気を逃がすベントを、現場の職員や協力会社の方々が不眠不休の極限状態の中で試行錯誤します。
このベントによる蒸気の放出には当然ながら、相当量の放射性物質も混じり、周囲を汚染してしまいますが、それでも格納容器そのものが爆発してしまうことを避ける為の最後の手段であり、事実、世界でも初めての実行だったと映画でも語られていました。
一つでも格納容器が爆発破壊されると、その高圧力から大規模な爆発を招き、広域に高線量の放射性物質を大量に撒き散らすことになります。
そのことは、福島第一原発すべての号機の放棄に直結します。
そして、近接の福島第二原発の放棄にもつながり、チェルノブイリ原発事故レベルが多数発生することを意味します。
世界で初事例となるベントを実行してでも「格納容器内の高圧力」をなんとかする必要があったのです。
水素爆発と格納容器内の圧力低下
この「格納容器内の高圧力」との格闘中に例の水素爆発が次々と発生する訳です。
繰り返し映像で報道された建屋の上部が吹っ飛んでしまうあの爆発があったとき、現場で対応する人たちの恐怖はいかばかりだったでしょう。
当時、映像を見たちもやんは、リアルに日本は終わったと思ったものです。
原発が水素爆発を引き起こすなんて一般知識ではありませんでしたから、普通は単純にチェルノブイリの爆発と同じことが起きたと思いますよね?
1号機、3号機、4号機と順番に水素爆発で建屋が吹っ飛びます。
この4号機は定期点検で原子炉は空だったけど、3号機から水素が建屋に流入したことで爆発が起きたと推測されているようです。
そして、2号機の未爆発の「格納容器内の高圧力」がラスボスであり、クライマックスなのですが、八方塞がりで万事休すというところで奇跡的にという表現で「格納容器内の高圧力」が低下します。
映画のラストでも、Fukushima50の行動の何が功を奏したのか、未だにはっきりとはわからないと締めくくられています。
ただ、2号機の建屋の外壁の一部に空いていた穴から水蒸気が出ていたことから、格納容器の接続部分やどこかの爆発により、そこから結果的にベントされたのだろうとされています。
もしかすると、メルトダウンで格納容器の底が溶けて穴が空いたことで単に圧力が下がっただけなのかもしれません。
結局、制御不能となっていた1号機・2号機・3号機ですが、素人ながらこうやって振り返ってみますと、地震や水素爆発によって格納容器が部分的に損傷したり、ベントで排気できたことによって、「格納容器内の高圧力」を回避できているに過ぎないことがよくわかります。
なんにせよ、穴がどこかに空いた釜で今現在も核物質が空焚きされとることを忘れたらあかんですね。
(※2021年3月11日現在)
高線量被曝の恐怖との戦い
対応に苦慮する現場のシーンで、決死隊は年長者からとか、若いやつはもう前線から後退しろ、といった描写が何度もありました。
放射線障害は、若者ほど影響を受けやすいとされている為、現場全体の共通認識なのでしょう。
そうはいっても、刻一刻と事態が悪化し、現場はもはや低線量被曝とはいえなくなってきている状況下での話です。
専門家のプロ集団だからこそ正しく被爆を恐れることができるのだとしても、東海村臨界事故で高線量被曝によって亡くなった方がどのように死んでいったのか、彼らこそよく知っているはずです。
実際、映画でも東海村JCO臨界事故を想起させるシーンもありました。
Fukushima50の現場職員たちが、現場に踏み留まり続けたというのは、使命感とか守りたいものがあるというような言葉や動機付けでは計り知れないものがあると思います。
東海村JCO臨界事故
少し話がわき道に入りますが、この東海村JCO臨界事故は、社会人1年目の出来事であり、残業中の会社のテレビの臨時ニュースで観ていたことをよく覚えています。
そして、強烈な記憶となるのが、その後のニュースや週刊誌で報道されていた至近距離で高線量被曝をされた作業員の方がどのようなプロセスで亡くなられたか、です。
ちもやんにとって、被爆というものは、はだしのゲンで奇跡的に原爆の直接ダメージを回避できたはずの主人公の中岡元が、ピカの毒で髪の毛が抜けてしまったり、甲状腺癌など将来的に癌の罹患率が上がってしまうという程度の認識でした。
東海村JCO臨界事故は、高線量被曝が具体的に人間へ与えるダメージを知らしめることとなった事件です。
東電本店や政府との戦い?
現場で陣頭指揮をとる吉田所長が実名で登場し、事実に基づいたストーリーというふれこみの映画ですが、登場する総理大臣は管直人元総理を想起させるものの別人です。
「直ちに影響はありません!」の枝野元官房長官やそのほかの政府官邸の要職者も同じく別人であり、東電本店の登場人物も別人のようです。
映画では、決死の覚悟と不眠不休の現場の足を引っ張る仮想的の扱いで東電本店や政府官邸が描かれていますが、果たすべきミッションは同じだったのですから、吉田所長と同様に彼らも実名でもよかったのではないかと思います。
当時の国民感情を汲み取った分かり易い演出ではありますが、東電本店と管直人元総理や政府官邸の側の事実や視点という演出まで踏み込んだ方が事実に基づいたストーリーに重みと厚みが出たような気もしました。
映画では余り描写されなかったもう一つの戦い
映画では取り上げられることはありませんでしたが、4号機の使用済み核燃料の貯蔵プールの冷却問題もありました。プールの冷却水が蒸発して空焚きになったり、核燃料の貯蔵プールが余震で損壊したりすると、原子炉のように格納容器がない為、想像するのも恐ろしい大惨事を引き起こし兼ねなかったことも忘れてはいけません。
これからも続く廃炉と被爆との戦い
映画でも奇跡的という表現で最悪の事態を回避できたものの、わかっていたことですが、10年が経過した現在も廃炉の入り口すらまだまだ遠い印象です。
今後、科学の発展や技術革新によって、廃炉や被爆の問題の解決スピードが劇的に早まるなんてことがあるのでしょうか。
現代史の事実として原発事故は定期的に発生しています。
ちもやんの残りの人生でまた原発事故が発生したとしてもまったく驚きはありません。
とはいえ、ちもやんは原発の稼働が世界中で無くなるとも思っていません。
人類が科学の発展や技術革新で乗り越えていくしかないのかもしれません。
いつも心に萌愛を。