兵馬俑と古代中国 ~秦漢文明の遺産~
京都市京セラ美術館
始皇帝陵のある陝西省西安市は京都市と姉妹都市。
今回展示されている重要文化財およそ200点のうち約9割が初来日。
いざ、京都へ。
例の鳥居がドーンです。
チケット購入後、コロナ対策の入場制限ということでしばしの時間潰し。
入場時間が指定されているのでありまする。
ポンペイ展もやっているのね。
一瞬だけ迷ったけど時間的に両方を鑑賞するのは無理と早々に断念する。
またの機会やな。
龍門 岡崎店
指定された入場時間まで小一時間。
この近くの中国料理といえば龍門の岡崎店やな。
三条京阪の本店は何度も行ったことがあるけど、ここは1~2回かな。
すぐ隣にあるうどん屋の山元麺蔵は相変わらずの大行列。
京都随一の人気うどん店だけあってすごいな。
でも、今日は中国日和。
己の中のチャイナ無頼を高めるべく龍門へ。
メニュー表を見るといろいろ注文したくなる。
しかし、お一人様にはどれもこれも量が多すぎる。
時間帯的にもお酒だって飲まないし。
そうなると、おすすめ定食からが無難ですわ。
白飯の質にがっかりするパターンを回避しようとするなら炒飯。
炒飯があるのは、らーめん定食のみ。
とうわけで、らーめん定食に決定。
具材たっぷりの海鮮ラーメンの登場。
エビにイカにホタテなど。
青菜に溶き卵。
いただきます。
子供の頃によく食べていた魚介スープの五目そばやね。
なんだか懐かしい感じがするラーメン。
これはもっと海鮮魚介寄りだけど。
鶏の唐揚げと小エビ天。
どちらもカラッと揚がっている。
これで炒飯をかっこむべし。
卵たっぷりのあっさり炒飯。
大阪少年の土曜午後ならウスターソースをかけちゃいそうなくらい。
日清のカップヌードルでも定番のシーフードヌードル。
この海鮮ラーメンを食べると日清のシーフードヌードルの濃厚さに改めて驚かされる。
ご馳走様でした。
兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~
指定時間となったので、再び美術館へ。
階段を登り、展示会場へと向かいます。
入場制限をしているのでそれなりにゆったりです。
かといってガラガラでもなく。
兵馬俑は、1974年に井戸を掘っていた農民が偶然にも発見したらしい。
かなり最近の話よね。
三國志で有名な曹操孟徳のお墓も2009年になってから発見されたり。
中国って、そういう不思議さがあるよね。
馬車や牛車の注目すべきは鉄製の馬具の発明。
くつわとかハミといわれる馬の口に含ませる金属製の器具。
これで馬と意思疎通を図り、訓練で馬を操縦することが用意にできるようになった。
人馬一体の始まりやね。
そして、始皇帝といえばキングダム。
併設でパネル展示されていました。
ちもやんも愛読している。
ふるさと納税の返礼品で50巻くらいいっきにもらってから。
最近は、女性キャラが増えてファンタジー化しているね。
しかも、その女性キャラがみんな無双だし。
初期の頃の一兵卒の歩兵部隊の死ぬ死ぬ感や緊張感の描かれ具合がリアルでよかった。
主人公の信こそがその当事者のド真ん中だったからね。
なんか、今はもう、ずいぶんと出世しちまったな。
戦場では敵味方を区別することが必須なので、サッカーのユニフォームのように色彩は豊かだったことは想像できる。
色落ちしてしまった出土品から再現できるようにもなってきているそう。
実際、緑に紫に青に赤と色彩豊かで色鮮やかなものが好まれていたらしい。
そんな中で、始皇帝の兵馬俑では圧倒的に黒が多く使われている。
黒一色で統一された軍装は、秦の黒衣の軍団軍と恐れられていたのだとか。
色彩的なインパクトだけでなく、返り血も目立たないとか、何らかのメリットがあったのかもしれんね。
戦国最強の白起将軍の黒衣軍。
なんとそろしや。
我々がイメージする兵馬俑。
坑に沿ってズラーッと並んでいるやつ。
ホンモノより少し小さく複製されているとの注意書きがある。
フォトスポットもちゃんとあって。
ハンドメイドですべて顔が違う。
顔つきや髪型から民族の違いなんかもハッキリとわかる。
複製品ではないホンモノさんも何体か来日されています。
当然、貴重な重要文化財のホンモノなのでショーケースに入っております。
手に何か持っているポーズの俑が多い。
槍とか弓といった何がしかの武具を持っていたんだけど、悠久の年月を経てそれらが朽ちてしまったのである。
なかなか感慨深いものがあるよね。
俑(よう)というのは人形の意味で、死者とともに埋葬された人形のこと。
日本の古墳時代の埴輪やらと同じですね。
兵馬俑というだけあって、馬俑もたくさんあって。
これらも馬具は朽ちてしまってもその名残や痕跡があったり。
馬や動物の世話をする役人の俑もあるよ。
坑から馬や動物とセットで出土する。
兵馬俑はどれも等身大かそれ以上に大きいんだけど、ミニチュア版もちゃんとあって。
その時代や地域によって、それぞれの俑の流行や用途があるみたい。
そのほか、もっと多くの兵馬俑や青銅器や鉄器の武具なんかの出土品も展示されていたんだけど、残念ながら写真撮影が禁止されておりまして。
剣に矛に戟とか、弓に弩といった武器のほか、くつわやハミに鐙といった馬具の数々。
青銅器から鉄器への変遷が展示されています。
横山光輝の三國志や項羽と劉邦の時代考証の偉大さがよくわかる。
作画もそうだけど、要点を抑えたストーリーのサクサク感が偉大過ぎる横山光輝。
巨匠であり鉄人やな。
話がちょっと逸れてしまった。
この武器や馬具の青銅器から鉄器へというイノベーションの時流を、中華で巻き起こしたのが秦であり、始皇帝なのでしょう。
西のヒッタイト由来の鉄器である鉄剣や弓矢の鏃は、青銅の剣を叩き折り、青銅の鎧や盾を貫いたそうです。
それらのことは、鉄製の部品で耐久度を増した弩によって、鉄製の鏃が銅板をいとも簡単に射貫くという実験結果の映像でも証明されていました。
製鉄と鋳物の技術革新による鉄の汎用化により、既存の武器の殺傷力が桁違いになったわけですね。
また、鉄製の馬具は騎馬兵や輸送部隊のあり方を劇的に進化させ、機動力は当然ながら兵糧や兵器の運搬力を圧倒的に向上させました。
それらの鉄器生産のイノベーションの玄関口に位置したのが、西方や北方の異民族との一大交易地だった秦なのです。
のちのシルクロードとかシルクルートっちゅうやつやな。
秦において、国土が農業や水産では貧しくとも、鉄器のイノベーションの玄関口という圧倒的な地の利が発生したわけです。
そりゃあ、もう、周辺諸国からすれば「鉄なんて反則や!」というくらい秦は圧倒的に強かったことでしょう。
この鉄器のイノベーションこそが、数百年続いていた春秋戦国時代を終焉させ、初の中華統一と始皇帝を誕生させたといっても過言ではなさそう。
天の刻、地の利、人の和。
そして、萌愛。
それらのすべてがこの時代に秦の地で始皇帝のもとに揃ったんやね。
中原の覇者は、鉄器のイノベーションとともに辺境の地の秦からやってきたわけだ。
おそるべしイノベーション。