萌愛シアター(2022年7月編)

2022年7月も映画館で萌愛 ※ネタバレあり

映画 ゆるキャン△

松竹のオープニングロゴの富士山からの富士山の麓でのキャンプシーン。
いつものメンバーによる湖畔キャンプでの夕食タイム。
湖畔の夜空に花火がバーン!
そして、いつの間にか社会人編へ。

リンちゃんは名古屋市内のローカル出版社で社会人生活。
国際センターや丸の内あたりでしょうか。
ひとり暮らしの自宅は一宮市っぽいね。

かつての同級生は当然のように仕事も済むところもバラバラ。
卒業後はそう頻繁に会っている様子はなく、それぞれでがむしゃらに社会人をしていたことが伺える。

そんな中、かつての野クルの部長でムードメーカの千明の地元県庁への転職をきっかけに仲間が勢揃いして、休日返上のボランティアでキャンプ場の再生に力を合わせていくことになる。

それにしても名古屋在住のリンちゃんをリーダーに任命って!
千明ちゃんも鬼やな~。
そこは地元のアンタか葵ちゃんやろ~。

結局、キャンプ場を再生すべく休日に片道4時間をバイクで往復するリンちゃん。
まあ、横浜の恵那ちゃんも東京のなでしこちゃんも似たようなものやけど。

まったくもってちっともゆるくないキャンプが繰り広げられる。
さすがは忙しい社会人編。
鬼キャン△やな!

時間軸にすると、リンちゃんたちは20代後半くらいかな。
本編と同じくストーリーに男っ気が微塵もないのは相変わらず。
結婚やら出産の話題ナシでもなんとかギリギリ不自然ではない青春リターンズ。

ちょっと疎遠やったけど、あることをきっかけにまた旧交を温めるみたいな。
自分の人生でもちょっと似たような時期があったような気がしないでもない。

いきなり社会人編ということで賛否両論がありそうやね。
ちもやんは高校生編を再編集したような映画にするよりは良かったと思う。

ガンダムか?」と思うくらい観客は圧倒的に若い男性が多かったな。
実際、本編のようなストーリーに女性は共感するのだろうか?
たぶん、しないだろうな。
観客層が物語っている。

破戒

島崎藤村の不朽の名作を60年ぶりに映画化とある。
寝た子を起こすなと言われがちな重いテーマだけどよく描けていたように思う。

被差別部落出身者と教育をテーマに穢多というワードが冒頭から最後まで出てくる。
さすがは不朽の名作。
思いっきりズバッと切り込んでくる。

ある身なりの良い富豪が実は穢多だということがバレて宿を追い出され、宿の女将は客商売だから畳をすべて張り替えるのだと大騒ぎである。

旧士族やら元藩士だとかの出自や職業の貴賎が堂々と言われている時代。
ほかにも職業に貴賎があったからこそ、専売事業となり財を成したと思われる被差別部落出身者の存在もしっかり描かれている。

登場する某衆議院議員の奥方は主人公と同郷なのだが、そうった財を成した富豪の娘であり、パトロンとなって政治とつながるというエピソードにもなっている。

その対立候補人権派弁護士を支援するのが主人公が敬愛する猪子蓮太郎という図式がまたなんともいえない政治の世界を見る思いである。

卑しいとはいったいなんだろう?
食い扶持減らしで寺に出されたその没落士族の娘に夜這いする坊主。
その娘への横恋慕への嫉妬から主人公の出自を暴露して貶めるボンボンの同僚。
にっくき露兵の戦闘員や軍拡の為の兵隊育成のような教育に明け暮れる教育関係者。
血税で昼間から酒を喰らう某衆議院議員の取り巻きたち。
我は穢多なりと出自を隠さず世の中を変えようと訴え惨殺される猪子蓮太郎。
勉強が得意で大好きなんだけど貧しくて進学できない教え子。

「人間は弱いから差別する」と劇中にありました。
では、何が弱いのだろう?

教育や教養?
経済力?
地位?
情報?
思考力や想像力?

出自の秘め事に思い悩む主人公の丑松先生は男前やのに終始陰気やねん。
でも、その丑松先生が二回だけ思いっきり笑顔になります。

教え子の進学の為の金銭的支援を富豪の祖父に快諾してもらったとき。
その教え子から進学できることになったと報告を受けたとき。

教室ですべてを告白して教員を追われても、東京で教員として再起するという。
主人公の丑松先生は教育に未来や希望を見ていたのでしょう。

大八車を引いて、学校とムラを立ち去る丑松先生。
「君は何も言わずに一人で行くつもりか?」と現れる土屋先生と志保。
これは土屋先生が正しい。
丑松先生に父親からの戒めや出自の呪縛がまだ残っていたのでしょうか。

その担任の丑松先生からびっくり仰天のとんでもない独白を受けた生徒たち。
そんな生徒たちが授業を抜け出してその丑松先生を見送りにやってくる。

そして、彼らが橋の上で合流するのである。
橋の向こうとこっちの世界ではなく、橋の上でお別れと未来の話をする。
この橋の上でというのがポイント。

それから劇中の序盤にもあったが、当時の日本列島から「非国民だ!」と一石も二石も投じたであろう誰もが知る「君死にたまふことなかれ」の強さを考えるとすごく深い。

ああ、弟よ、君よ泣く、
君死にたまふことなかれ。

親のなさけは勝りしも、
親は刃を握らせて、
人を殺せと教えしや、
人を殺して死ねよとて二十四までを育てしや。

この当時はロシアで、後には支那に鬼畜米英へとつながる戦争。
人が人を卑しんで蔑んで貶めて忌み嫌った憎しみの果てが殺し殺されの戦争。

「我が子を殺し殺される為に産み育てた親がどこにいる?」
「いったいどこの誰がこんなことを望んでいるんだ?」
「かわいい弟が死ぬなんてイヤだ~!死なないで~!」
ちもやんもこの当時の晶子さんのような感性や感覚を大切にしたいと思う。

時代錯誤なのか社会情勢なのか、その時々の世間を覆うなんだかなという社会通念。
戦争や被差別もそうだし、今だとコロナ禍の世論がそうかもしれない。

過ちに気付き、自分の頭で考えて、自分で意思決定できる大人になりたい。
土屋先生を見習いたいと思う。
丑松先生、志保さん、東京でがんばれ~!

エルヴィス

めっちゃ長かった~。
でも、おもしろかった。

ボヘミアン・ラプソディよりディープでダーク。
英国と米国の差や時代背景の違いか。

奴隷解放宣言はされていても、まだまだ黒人差別が当たり前のアメリカ合衆国
黒人の公民権運動が盛り上がっていくなか、黒人の隔離政策や文化の融合や同化に危機感や反対が普通に主張されていた時代。

この映画でもたっぷり盛り込まれています。
キング牧師ケネディ兄弟も暗殺されるというちょっと病的なアメリカ合衆国
そんな時代の寵児がエルヴィス・プレスビー。
今でも世界史上で最も売れたソロアーティストらしい。

確かに劇中の挿入歌にあれもこれもそれもプレスビーの曲か~と再確認した次第。
ちもやんが生まれる前の時代だからちゃんと知らなかったんだよね。
でも、聞いたことがある曲はいっぱいあって。

映画は、悪徳マネージャことトム・ハンクス演じるトム・パーカー大佐の視点で物語が進行し、あれだけメジャーになったプレスビーが衛星中継のみで海外公演が行われなかった理由も描写されている。

確かにプレスリーはドメスティックな印象がかなりあるよね。
故人だけど、今となってはそれがブランドにもなってそうだけど。

あと、映画でもだんだん太っていくんだけど、プレスリーといえばアル中と過食症で太って若くして急死したというイメージがあるわ。

42歳で急逝。
キング・オブ・ロックロールに合掌。

バス・ライトイヤー

ちょっと手塚治虫感のあるキャラとストーリー。
子供にはちょっと難しかったのか、集中力の切れている子供がチラホラ。
一方で、パパやママの方が没頭している感じ。

女性同士が結婚し、妊娠し、息子が産まれたり。
最近の子はそういうのを自然に理解できるのかな?

なんだか思いっきり続編もありそうやね。

モガディシュ 脱出までの14日間

予告編で想像していたよりもずっとさらに面白かったわ。
ベイビー・ブローカーよりだんぜんこっちやな。

往年の香港映画のような勢いもあって、最後まで集中して楽しめたわ。
韓国映画冬のソナタのイメージが強くて避けてたけど、これからは素直にチャレンジしてもいいかもと思わされた。

ちもやん的には高野秀行の謎の独立国家ソマリランドのイメージがあるソマリア
あとは、ニュースにもなる内戦に海賊にという荒れた国というイメージやな。

ソマリアの内戦勃発時の北朝鮮と韓国のそれぞれの大使館の話。
もうすでに設定だけでめっちゃ面白そうやし。

デモが暴徒化した民衆や反政府軍と政府軍が入り乱れる市街地がまさに北斗の拳の世界で「ヒャッハー!」という感じが画面からものすごい伝わってくる。
特に少年兵の描かれ方が象徴的でさもありなんと映像以上に想像させられる。
演出や描き方がめっちゃ上手やね。

また、大混乱の中、当時のドルの偉大さもわかりやすい。
今のアフリカだと中国の元もそれなりに通用するのかな?

内戦下において、外交官だろうが要人だろうが、暴徒にはまったく関係ない。
大使館だ領事館だの治外法権もなんやそれの少年兵や暴徒たち。

90年代で携帯電話やインターネットはおろか、電話もFAXも通じない。
テレックスがどうとかの時代。

あの北朝鮮と、あの韓国が、否が応でも協力せざるを得ないという究極の決断。
その境地に至るまでの描かれ方がテンポ良く説得力もある。

血の気が多く、直情型ですぐに鉄拳制裁で物事を解決しようとするいかにもな若手に対し、外交官でも上席の南北のおじさん大使たちは非常時のミッションを「生存」と明確に意思決定しているところが流石である。

なんや、あれやな。
おじさんが活躍するとうれしい。

ラストスパートもこれでもかと追い込んでくる。
ドハマリな設定をしっかりドラマとスリルで面白く仕上げられている。

やるなあ、韓国映画

メタモルフォーゼの縁側

同人誌の販売会?コミケ
あんなに集まるんやね。
すごい文化であり、産業やな。
楽市楽座織田信長もびっくりやろ。

芦田愛菜ちゃん。
頭脳だけじゃなく、運動神経もすごくよさげ。
本作では石原軍団なみに走っている。

トボトボと歩く印象付けのあとはどんどん走り出す。
逃げるように走ったり、手をブンブンしながら走ったり、スキップするように走ったり、リュックに手を掛けて走ったり。

最後、コメダ優先生のサイン会。
雪から真相を聞いていたのにコメダ先生はうららに何も話し掛けなかった。
深いよね。

自分の作品がキッカケで世代を超えたうららと雪の友情。
コメダ優先生は雪から真相を聞いていろいろピンときていたのでしょう。
うららの作品である「遠くから来た人」を読んでパワーをもらったのだから。

そんな二人の関係に割って入るなんて無粋なことを一流のBL作家はしない。
無粋と書いて粋じゃ無い。
コメダ優先生はサインしながら心の中で「遠くから来た人」の二人の萌愛で素敵な関係を応援していたのでしょう。

うららもしっかりと成長している。
幼なじみが海外留学する別れた彼女を空港に見送りに行くよう応援し、その幼なじみの彼女の海外留学に対して自分から呼び止めて頑張ってと応援できるようになった。

同人誌の販売会やコミケのあのイベント。
まだ海の物とも山の物ともつかない無名の作家とそれを応援する人たちの集まり。
コメダ優先生はそこからエネルギーがもらえるんだと。
萌愛ですね。

エンドロールもずっと縁側。
玄関も別でちゃんとあるんだけど、縁側から出入りする関係性。

いい映画やったな。

キングダム2 遙かなる大地へ

信、活躍してたっけ?
今回は基本的に羌瘣編やね。

「無理じゃないっ!だって、おまえはまだ生きているじゃないかっ!」
という何度も予告編で見てきたあの羌瘣の決めシーン。

「尾平なんかいっ!」
と劇場の全員で突っ込まずにはいられない。

伍を編成してチームプレイで戦うことで生き残っていくという戦闘回なはず。
でも、信はその伍を放っぽってどんどん先に進んじゃう。
イマジャナイヤロ感がありまくり。

伍を編成したばっかなんやから、ここは信も一兵卒の代表として雑兵の死地と隣り合わせの死ぬ死ぬ感がもっとあってしかるべきやったかと。
信が出世街道へまっしぐらなんはわかるけどもやね。

王騎の「ンフッフ~、アナタ、さっきからずっと死地に立っているんですよ?」という信へのセリフとミスチルの「生きろ」という応援歌。

さっきからずっと死地に立っているのは信が抜けた伍の残りの4人であって、生きろという応援歌に支えられてギリギリで踏ん張っているのも伍の残りの4人であって。

お陰で本作のヒロインである羌瘣のクライマックスの相手役は尾平と相成りました。
まったくもってさもありなんですわ。

大沢たかおの王騎のセリフがずば抜けて聞き取りやすい。
あとはなんだかちょいちょい聞き取りにくい。
序盤の前作の振り返り的なナレーションなんてめっちゃ聞き取りにくかったわ。
映画館の音響によるのかもしれんが。

このキングダムは前回も今回も王騎の登場は終盤のちょびっとだけやけど、この大沢たかおの王騎が圧倒的な貫禄と存在感を発揮しているよね。

次が王騎編のクライマックスで劇場版の最終回かな?

ミニオンズフィーバー

次男坊(8)と鑑賞。

随分と中華系を意識しているというか、おもねるというか。
まあ、最大マーケットやからね。

グルー=鶴瓶の違和感のなさが幼少期でも変わらず。
鶴瓶師匠を声優に抜擢した人のセンスを尊敬するわ。

あとがき

大和西大寺の変

安倍元総理と安倍事務所の「業」が招いたものとしかいいようがないよね。

それまでは聞いたことがなかった「忖度」という日本語。
内閣人事局やら賭博麻雀の元検事長につながるアレコレ。

森友に加計に桜。
もし、組織の自浄作用で失脚していたら、彼の人生の結末は異なってたかもね。
自らの選択で背負い込んだ「業」であり、まさに諺の自業自得というやつやな。

政治と豪商と自浄作用

リクルートとか佐川急便とかね。
バブル期の自民党竹下登とか金丸信の頃のお話やんね。

その後、パソナあたりから日本の自浄作用の機能が怪しくなってくる。
さらには、日本企業のコンプライアンス強化と国際的地位の低下もあって、豪商も小物化していき、地方の幼稚園やら獣医学部といった学校法人レベルへ。

その小物案件すら、桜を見る会とあわせ、まったく自浄作用が機能しない特捜や国税
金丸信の金庫を開けた日本の自浄作用と緊張感はどこへいってしまったのだろう?
これはマスコミも世論もね。

政治と宗教と自浄作用

政治は、豪商には税や権益の規制でコントロールしてきた歴史がある。
特に相続税なんて最たるもの。

政治は、宗教には布教の制限や弾圧や迫害でコントロールしてきた歴史がある。
でも、今の日本の信教の自由と優遇税制でコントロールできているのだろうか?
しかも、宗教法人の管轄は愚民化政策の元締めの文科省

政教分離
いったいどこが?

アレフでかつてのオウム真理教
地下鉄サリンや数々の大事件を引き起こす以前には大々的に選挙へ挑戦している。
全員が落選してからの数々のテロ事件である。

日蓮正宗を破門された創価学会公明党
幸福の科学幸福実現党
そして、旧統一教会こと世界平和統一家庭連合と自民党を中心とする議員たち。

えっ?自浄作用はいずこ?

今回の大和西大寺の変からは「業」と「因果」しか感じないよね。

まやかしの政教分離

そもそも世界には政治と宗教が密接で同体だったりする国がたくさんある。
そして、同地域同民族であっても、時代や支配層の変遷でその宗教も変わる。
米国大統領の一般教書演説では聖書を片手に宣誓しているしね。

程度の差こそあれ、どうしても政治と宗教は切っても切れない関係がある。

日本の先の大戦先だって、当時の世界経済や地政学といった世界情勢だったり、軍部の暴走やファシズムが原因だったかもしれないが、全国民を突き動かしていた共通思想は狂信的な神道だったことは間違いないと思う。

神仏分離廃仏毀釈で純度が高まっていた時代の神道やね。
この神道が現人神と融合して、御国のためとか、神風特攻隊みたいのへ。
戦地でなくとも非国民やら村八分にならないよう、運命共同体に拍車がかかり。

今のような神社と寺の区別もつかないような若者がいることの平和に感謝。

宗教と依存

どこからが信教の自由を超えて行き過ぎなのだろうか。
公共の福祉に反しているのだろうか。
公序良俗に反するのだろうか。
マザームーンとか、尊師とか、総裁とか、先生とか、陛下万歳とか。

煙草にアルコール。
パチンコ等のギャンブル。
街金なんかの貸金業者
そして、宗教。

いずれも家族や周りが大変に迷惑する依存。
何事も行き過ぎの依存はいかんぞと行政は天下りの相談センターや監督先を設立する。
でも、どうみても宗教に関するそれらだけが弱いよね。
カルト認定されて公安がマークでもしない限り。

かつての寺社奉行のような警察署と税務署の合体したような行政機関があってもいいのかもしれないね。

信教の自由に迷惑している半径数メートルの生活圏の家族や親戚、隣近所の人からしてみると、まったくもって世界平和も萌愛も何もあったものじゃない。

自浄機能への挑戦

民衆主義への挑戦とか言論封殺だとか主張するボンクラ議員やボンクラ評論家たち。
信教の自由に対する我慢と絶望が限界に達した人による自浄機能への挑戦やろ。

行政も、信教の自由のもとコントロールできていない。
立法も、宗教色が見え隠れする政党を見ていると法制化には期待できない。
マスコミも、すべてではないにしろ怪しい。
広告塔やアンバサダーとしての著名人や芸能人なんかもいわずもがな。
安倍元首相がそれらの権化だと考えて大和西大寺の変を実行したのでしょう。

乾坤一擲、一矢を報いる。
法を犯す大罪やったとしても。

そんな自浄機能への挑戦だったことを、立法府の任にある国会議員は心得るべき。
我が国でもカタキ討ちや仇討ちが誉れやった時代もあるんやで?

基本的人権も公共の福祉に反しない限り、公序良俗に反しない限りとある。
そんなもん信教の自由だってまったく同じである。

公共の福祉に反している、公序良俗に反している、そんなグレーな宗教法人から、顧問料、或いは、スピーチや講演料としての政治献金を幾らもらっているのか、である。

だいたい、宗教の思想信条活動と政治の思想信条活動は類似性が有り過ぎる。
金集めに票集めにその為の奉仕活動員の確保。
信者とお布施を集めるのと党員と献金を集めるのと何がどう違うのか。
後援会やらのパーティーなんか宗教の集会やらと似たようなもんやからね。
お互いに同じ穴の狢くらいに思っとるんでしょうな。

だから、そういう宗教集会に来賓やらで招待されている国家・県会・市議会の議員は、ホンモノの信者なのか、感性や感覚が麻痺しているのか、よっぽどのボンクラなのか。

もし、そういう集会に招待されたとしてやで?
尊師やらマザームーンを目の色を変えて崇拝する大集団を目の当たりにしたら、国なり地方の政治家として危機感を持つのが普通の感覚だと思うのだがね。
ましてや、今の議員世代の大半はオウム真理教の事件を実体験しているわけだし。
暴走族の集団を見つけた時よりも危機感を持ってもらいたいものです。

信教の自由と何が公共の福祉と公序良俗に反しているのか理解できないボンクラども

大和西大寺の変があってなお「何が問題かわからない」というボンクラの極みのような議員たちが与野党ともにあまりにも大量でホンマに驚く。
しかも、兄貴を討ち取られた弟やら、我がとこのボスを討たれた党幹部の総務会長までもがそんなレベルとは心底情けない。

信教の自由において、何が公共の福祉に反しているのか、何が公序良俗に反しているのか、そんなことすらわからんとは議員以前に社会人としてもどうかしているわ。

くれぐれも本来の健全な組織の自浄作用が機能されることを望むわ。
議員のみなさん、これ以上のサボタージュはあきまへんで。

合掌。